日本を大きく変える明治維新を成し遂げ、鹿児島に生まれた大いなる人。近代日本への第一歩を踏み出した日本を語るときに、西郷隆盛の名は燦然と輝いている。日本人ならば知らない人はいない、現在でも最高の有名人であり遺徳をしのぶ人は多い。どのように生きてきたのか、なぜこのように多くの人たちによってその功績、人柄などを尊敬の念をもって慕われているのか、今でもさまざまな形で論じられ「西郷論」は尽きることはない。
西郷隆盛は、鹿児島では「セゴどん」と親しみをこめて昔から呼ばれ、体も目も大きいので「ウドさあ」とも言われた。身長一メートル八十センチ、体重百十六キロで当時としては堂々とした体格である。しかも人を引き付ける魅力あふれる人だった。
坂本竜馬は西郷に会った後に、「西郷という男は、底知れない馬鹿者である。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。馬鹿のほどが分からぬ」といったと言う。会った人は西郷の魅力に惹きつけられた。このような人物なればこそ。旧社会体制を破壊し新しい社会体制を確立する強烈なエネルギーを率いていったのだろう。
西郷の幼名は小吉、長じて隆永、通称吉之助であり、間違いから隆盛となり、それがそのままに呼ばれるようになったという。南州は雅号。
鹿児島に帰郷しているときの西郷は、山を駆けウサギを追い、川に魚を捕り、温泉に出かけては湯治。流罪として南海の島に行き、島妻を娶り子供まで生している。
現代から見れば短い生涯だが、大事となれば日本国内をも走り、同志と語り策謀を巡らし強大な幕府を倒し新政府を立ち上げた。ものすごいエネルギーの男西郷。彼の鹿児島県内で残した足跡をたどり、明治維新を成し遂げた男の一端に触れてみたい。
(平成24年10月3日)
星原 昌一
西郷さんが仲間と 幼い頃遊んだ甲突川 |
西郷さん着物 |