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星原昌一の西郷の足跡を歩く

第15回 最期の地

鹿児島市岩崎谷の道脇に「西郷南洲終焉の碑」が建っている。明治十年(1877)二月十五日、南国としては珍しい数十年ぶりといわれる大雪だった。東を目指して二隊に分かれた約一万三千名の薩軍は、午前8時。降り積もる雪を踏みしめ出発した。西南の役の始まりだった。
戦い敗れて最終の戦場となったのは、故郷の城山だった。9月24日、七ヵ月間にわたる西南の役は幕を閉じた。熊本城攻防から苦戦を続け、険しい山を越え鹿児島へと官軍と戦いながら帰ってきた。出発したときの軍勢は1万3000名から1000名ほどに減じていた。城山にこもったのは総勢約350人。
西郷は城山中腹にある崖に浅い洞窟を掘り、中にこもったが9月24日午前3時55分、三発の号砲を合図に官軍が総攻撃を開始、西郷は糸子夫人から、ひそかに送られた最後の晴れ着、縞の筒袖を身につけ白の兵児帯を締め新しいわらじを履き、空が白みかけた午前四時半ごろ洞窟を出た。道を下り始め600メートルほど下ったところで,二発の流れ弾が太ももと左横腹に当たった。

「晋どん、もうここでよかろう」

座った西郷は、東を向いて両手を合わし拝んだ。

「ごめんなったもし(許してください)」

別府晋介は一刀で首をはねた。

明治維新の大事をなしとげた巨星はここに散った。

官軍の本営跡
官軍の本営跡
城山洞窟
城山洞窟