下級武士の家は貧しく、生活に困り父母の治療費、葬儀代など借金があり、やむを得ず加治屋町の家を手放し川から向かい側、現在の上之園町、共研公園ナポリ通り横にある借地に建てられた家。田の字型の六、六、八、四畳の古いぼろ家に引っ越した。藩主斉彬の東上について江戸に上る前であった。いまは記念碑がある。その家には十三年間住み、武村に引っ越す明治2年(1869)まで居住する。奄美大島などに流謫された5年も、この家にいる間の出来事であった。このころは訪れる客も多く、月照や慶応2年には坂本龍馬夫妻も泊っている。
上之園町に移転 |