鹿児島市の繁華街、呉服町交差点から海岸へ向かい、ナポリ通りを横切り松原小学校の斜め右に南州寺がある。門をくぐり右手に月昭上人の墓がある。
京都で将軍継嗣問題のために奔走していた西郷は、近衛忠煕を訪ねているときに勤王の僧「月照」(京都清水寺成就院住職)と知り合い、僧の熱烈な勤皇の思想に共鳴、肝胆相照らしす仲となった。主君斉彬の死をしり、呆然として殉死まで考える西郷を励ましたのが月照。「国事に尽くすのがあなたにできる供養だ」と諌めた。しかし安政の大獄で月照も危うくなり、近衛家から身の保護を頼まれた西郷は、鹿児島に帰り受け入れを頼むが、幕府を怖れた藩の重役たちは密かに月照を日向送りすることにした。
安政五年(1859)陰暦11月15日夜、満月の光が錦江湾の波がきらめく海に西郷、月照を乗せた屋形船は漕ぎだした。未明、三船沖にさしかかったときに、船先から小柄な月照を抱いて西郷は海に飛び込んだ。覚悟の投身自殺だった。慌てた船頭たちがとびこみ助け、近くの花倉の浜に行き、漁師の家にかつぎ込まれ介抱したが、月照はすでにこと切れ西郷は水を吐き辛うじて蘇生した。 南州寺の墓には月照のお骨が半分おさめられ、半分は京都の清水寺にある。以前は月照の石像があったが,宗派が違ったがために取り外したという。毎日のようにぽつぽつとお墓参りに訪ねてくる人がある。
月照上人と入水する西郷さん |
南州寺 |
月照上人の墓「南州寺」 |