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星原昌一の西郷の足跡を歩く

第7回 大島流謫の地

蘇生した西郷は幕府へのはばかりから「菊池源吾」と名を改め、安政6年1月12日(1858)に捨扶持六石で奄美大島の竜郷に配流された。竜郷湾に沿った道脇に、西郷松または船つなぎ松と呼ばれる大きな松が海に張り出すように立っている。当時は十戸ほどの静かな農漁村だった。割と自由に暮し読書と好きな狩り、釣りなどを楽しんでいた。しかし藩主斉彬の死,月照を失った悔いに失意の極めにあった。
龍郷に着いた当初は龍氏の家に住んでいたが、空き家で自炊をしたこともあったが、龍家に帰り、しだいに周囲の人たちの尊敬を集め、龍一族から結婚をすすめられ島に来てから十ヶ月目に愛加那と三献の祝いを挙げた。西郷33歳、愛加那23歳だった。
家を新築するに当たって西郷は台風の日に村中を歩き回って風当たりの弱いところを選んだ。六畳、八畳続きのわらぶきの家を建てたが建築の時には村の人たちがこぞって手伝ったと言う。
西郷は子供たちに読み書きを教え、悪徳役人を懲らしめたりした。愛加那の加那はお嬢さんという意味であり、「愛お嬢さん」は良家の娘を意味する。二人には菊次郎,菊子の子供が生まれた。
生垣に囲まれた現在の家は昭和58年に建て直したもので、正面の床の上に西郷の写真が飾られ、遺品などが置かれている。
庭には勝海舟が書いた碑銘が彫られた「西郷流謫地記念碑」がある。

奄美龍郷の家
奄美龍郷の家
奄美龍郷の家外観
奄美龍郷の家外観
西郷さん流され、船をつないだ松
西郷さん流され船をつないだ松